クローン病発症・入院・手術を経て
このページでは私の発症から手術、退院までの経緯をお話したいと思います。
これまでは軽度の腹痛や下痢がたまに見られる程度で体質的なものだと考えていたのですが、2014年6月中旬頃から腹痛が頻発するようになってきました。知人のドクターに相談すると検査を勧められたので、7月初めに近くの消化器内科を受診しました。レントゲンやCT、胃カメラ、大腸カメラの検査をしてもらいましたが、このときは特に大きな異常は認められませんでした。
主治医は「過敏性結腸症」と診断しました。そこで大腸の過剰な動きを抑制する目的でトランコロンが処方され服用を開始したのですが、2~3日したところで急に胃が動かなくなる感覚とともに飲食がほとんど出来なくなってしまいました。当初は薬の副作用によるものと思い、服薬を止め自分で針灸や漢方薬を飲むようにすると、徐々にではありますが腹痛は緩和し、飲食も可能になってきました。その後も軽度の腹痛はありましたが、当初のような強い痛みは起きなくなってきました。
ところが12月の上旬ごろから両手のこわばりや両手首や足首、肘、膝の関節の痛みが出はじめ、そのうち腫脹も現れてきました。まるでリウマチを彷彿させる症状です。1か月程様子をみたものの、症状にほとんど変化はありませんでした。そこで1月下旬に近くのリウマチ専門の整形外科を受診し血液検査をすると、リウマチの検査結果はグレーゾーンだったのですが、それより何より重度の貧血が判明しました。このときのヘモグロビン値(正常値:13.5~17.6g/dl)はなんと5.9g/dl!入院して輸血を必要とするレベルであり、再度、消化器内科を受診するよう言われ紹介状を書いてもらいました。今思うと、こんな状態だったにもかかわらず、よく倒れずに生活していたものだと思います。
内科を受診して再度血液検査をすると、貧血だけでなく栄養状態も良くない状態でした。最初の受診から今回の受診までの経緯を主治医に伝えると、貧血の原因は恐らく消化管のどこかで出血を起こしている可能性が非常に高く、入院・絶食して詳しく検査する必要があるとのこと。しかし開業鍼灸師という立場上、仕事を休めないという思いが強く、通院しながら治療をしたい旨を主治医に申し出ました。
さて、検査を行うにも、まずは鉄剤で貧血を改善させないと内視鏡の検査が出来ないため、ヘモグロビン値が少なくとも8以上になるまで鉄剤の内服と静注をしながら通院することに。
最初のうちは順調にヘモグロビン値が上昇していきました。ところが、あるとき鉄剤の静注頻度を増やしたにもかかわらずヘモグロビン値にほとんど変化が認められなかったことから、ますます消化管での出血の可能性が高まってきました。
そして2015年2月20日、再び強い腹痛が出はじめ、立っているのも辛い状態になってしまいました。2~3日我慢しましたが痛みが全く引かず、タクシーを呼んで病院までなんとか辿りつき、即入院を決意しました。単純CTの結果、腸の一部が捻転しているような所見が認められ、炎症性腸疾患が疑われました。その病院では炎症性腸疾患の詳細な検査ができないため、点滴での栄養療法と鉄剤の投与をしながら3日後に藤沢市民病院へ転院し、さらに詳細な検査をすることになりました。腹部のレントゲンを撮ると、腸閉塞の時にみられる特徴的な画像が得られました。
さらに造影CT検査の結果、小腸同士の癒着や瘻孔も疑われ、この時点で恐らく手術が必要であろうと主治医から告げられます。また栄養状態を改善させるための中心静脈栄養療法(気胸が怖かったので、左上腕静脈からカテーテルを入れてもらうことに。)が施されました。加えて入院中は注腸造影や、イレウス管を鼻から入れて小腸狭窄部へ到達させバルーンを留置し患部を拡張させ、イレウス管経由で小腸造影を行いました。その結果、クローン病の疑いがより一層濃くなりました。
余談ですがイレウス管は直径が約1センチ近くもあり、かつ硬い管なので留置中は唾をのみ込むたびに管が鼻と喉の奥で擦れ、本当に痛かったです。痛みに耐えられず、自身でイレウス管を抜いてしまう患者さんもいらっしゃるとのこと。私は5日間留置していたのですが、長い人では1か月近くも留置することがあるそうで、鼻の穴入口の軟骨が変形することもあると看護師さんがおっしゃっていました。
諸検査によってクローン病の可能性が高まったものの、藤沢市民病院ではその手術ができないため、主治医は炎症性腸疾患の治療実績が豊富な横浜市立大学付属市民総合医療センター(通称「センター病院」)への転院を検討。センター病院のベッドが空くまで市民病院に入院しながら待機することになりました。まさか2回も転院することになるとは・・・。
絶食によって腹痛は消失し、またイレウス管抜去後に狭窄部の通過状態も改善されたことが確認されたので、経腸栄養剤のエレンタールも服用しながら転院までの退屈な日々をどう過ごすかばかり考えていました。
転院はおそらく予定日の数日から1週間ほど前にははっきりするだろうと主治医から伝えられていたのでのんびり過ごしていました。ところが3月10日の朝の回診で主治医から「金本さん、明日転院できることになりました!」とのこと。まあ嬉しい誤算ではあったのですが、翌日の退院手続きや転院の準備でバタバタした1日となりました。
そして3月11日、退院手続きと支払を済ませると、バスと電車を乗り継ぎセンター病院まで足を運び、入院しました。数日後、再び注腸検査と小腸造影検査を行い、主治医から状態を説明されました。それによると、すでに小腸は炎症のため2か所で狭窄があり、狭窄している手前の腸が大きく膨らんでいる状態だったのです。
センター病院に入院してから2週間後の3月26日、病変部切除のための手術が行われました。
当初は腹部を5センチ程切開して腹腔鏡補助下で手術を行う予定でしたが、病変部位かかなり大きく、切開もそれに合わせて少し長めにしないと切除した腸を取り出せないため、臍を含む正中で8センチほど切開することに。
手術室に入ったのが17時頃。ベッドに仰向けになって麻酔を投与されるとあっという間に意識がなくなり、目が覚めた時には手術が終わっていました。病室に戻ったのが22時頃。約5時間の手術だったようです。
術後は順調に回復していきました。翌日から病棟の廊下をゆっくりと歩き、日を追うごとに歩く距離も伸びて行きました。また、体に入れられた胃管や尿管カテーテル、腹部のドレーン管が抜けていき、最後に中心静脈栄養療法のカテーテルが抜けたときは、約1か月半に渡る拘束から解放されたようで本当に嬉しかったです。
術後4日目にはガスが出てくれたので、さっそく飲水開始の許可が下りました。翌日の3月31日からはついに待望の食事がスタート!実に約40日ぶりの食事です。重湯から3分粥、5分粥、全粥とそれぞれ2日ずつ問題なく摂っていけたら退院となります。最初に口にした重湯のなんと美味しいこと。一口食べて思わず「はぁぁ~(うめぇ)」口から食事ができるという当たり前の行為がこんなにもありがたいことだったとは…食事の時間が待ち遠しくなったことは言うまでもありません。そして食事開始から8日後の2015年4月8日に無事退院。娑婆の空気を思いきり吸うことができました。
退院後、2週間ほどして少しずつ仕事に復帰しました。その間待っててくださった患者さんにはご心配をおかけしてしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。これを機に「自分の身体は自分だけのものではない」という考えに至り、生活習慣に配慮ようになりました。